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紅葉狩 (映画)[もみじがり]
『紅葉狩』(もみじがり)は、1899年(明治32年)に製作された日本のサイレント映画、記録映画である〔『日本映画史発掘』、田中純一郎、冬樹社、1980年(昭和55年)、p.66-69.〕〔「重文」映画を一般公開へ 歌舞伎撮影した「紅葉狩」 、山陽新聞、2009年(平成21年)4月2日付、2009年(平成21年)12月14日閲覧。〕。日本人によって撮影された現存する最古の動画である。初公開は製作の4年後、1903年(明治36年)7月7日である〔。 == 略歴・概要 ==
=== 撮影・公開の経緯 === 映画『紅葉狩』は、同名の能を題材として1887年(明治20年)10月に東京・新富座で初演された歌舞伎舞踊『紅葉狩』を、1899年(明治32年)11月に東京歌舞伎座で再演した際に、同劇場の支配人・井上竹次郎の提案でこれをそのまま活動写真に記録したドキュメンタリーフィルムである。歌舞伎座の裏に位置する芝居茶屋「梅林」前庭に仮設のオープンステージを組んで、そこで自然光により撮影することになった。撮影は1899年(明治32年)11月28日、柴田常吉により行われた〔。 当時「団菊」と並び称された九代目 市川團十郎と五代目 尾上菊五郎がカメラの前に立ったが、團十郎は大の活動写真嫌いだったため、自分が生きているうちは一般公開しないという条件のもとに撮影は行われた。撮影本番中に團十郎が扇を落とすハプニングが起きたが、リテイクは行われなかった。翌1900年(明治33年)11月3日に團十郎邸で上映会が催されている〔。 1903年(明治36年)2月18日に菊五郎が死去し、團十郎も病気で7月公演に出演できなくなったため、吉沢商店の提供により同年7月7日に大阪中座で本作は公開されることとなった〔。この年の9月13日には團十郎も死去している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紅葉狩 (映画)」の詳細全文を読む
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